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1982年
  • 静岡県藤枝市に中央防犯サッカー部として創部。
1983年
  • 静岡県社会人サッカー中西リーグ3部で優勝(8勝1敗)し、2部に昇格。
1984年
  • 静岡県社会人サッカー中西リーグ2部で優勝(8勝1分)し、1部に昇格。
1985年
  • 静岡県社会人サッカー中西部リーグ1部で優勝(9勝)し、県リーグ昇格。
1986年
  • 静岡県社会人サッカーリーグ2部で優勝(15勝)し、1部に昇格。
1987年
  • 静岡県社会人サッカーリーグ1部で優勝(13勝3分1敗)し、地域リーグ昇格。
1988年
  • 第23回東海社会人サッカーリーグで優勝(13勝3分1敗)。
  • 第24回全国社会人サッカー選手権大会で2回戦敗退。
  • 第68回天皇杯全日本サッカー選手権大会で1回戦敗退(初出場)。
  • 第12回全国地域リーグ決勝大会はBグループ2位(1勝1分)で予選リーグ敗退。
1989年
  • 第24回東海社会人サッカーリーグで準優勝(11勝4分2敗)。
  • 第25回全国社会人サッカー選手権大会で優勝。
1990年
  • 第25回東海社会人サッカーリーグで準優勝(9勝2分5敗)。
  • 第26回全国社会人サッカー選手権大会で優勝。
  • 第14回全国地域リーグ決勝大会は準優勝(1勝2分)。日本サッカーリーグ(JSL)2部昇格。
1991年
  • チーム名を「中央防犯ACM藤枝フットボールクラブ」に改称。
  • 第16回JSLカップ1回戦敗退。
  • 第20回日本サッカーリーグ2部で12位(7勝6分17敗)になり、来季から始まるJFL2部に振り分けられた。
1992年
  • 第1回ジャパンフットボールリーグ(JFL)2部で優勝(12勝2分4敗)し、1部昇格。
  • 第72回天皇杯全日本サッカー選手権大会2回戦敗退。
1993年
  • 第2回JFL1部で9位(6勝12敗)。
  • 福岡にJリーグチームの誘致が進み、県民50万人が署名。
1994年
  • チーム名を「中央防犯FC藤枝ブルックス」に変更。
  • 第3回JFL3位(24勝6敗)。
  • 本拠地を福岡へ移転し、チーム名を「福岡ブルックス」に変更。
  • 9月29日、運営会社の(株)福岡ブルックスを設立。Jリーグ準会員として加盟承認される。
  • 第74回天皇杯全日本サッカー選手権大会1回戦敗退。
1995年
  • Admiralとオフィシャルユニフォームサプライヤー契約を締結。
  • 2月26日、「福岡ドーム スーパーサッカーマッチ '95」でグアダラハラ(メキシコ)と対戦。結果は1-2で惜敗。
  • 7月13日、J2第13節の大塚FCヴォルティス徳島との一戦が、博多の森球技場の杮落としとなった。
  • 第4回JFLで優勝(24勝6敗)、Jリーグ昇格決定。
  • 第75回天皇杯全日本サッカー選手権大会ベスト8。
1996年
  • Mizunoとオフィシャルユニフォームサプライヤー契約を締結。
  • チーム名を「アビスパ福岡」に変更。
  • Jリーグ16チーム中15位(9勝21敗)。
  • ナビスコ杯はBグループ8チーム中8位(1勝6敗)でグループリーグ敗退。
  • 第76回天皇杯全日本サッカー選手権大会ベスト16。
1997年
  • Jリーグ1stステージ17チーム中17位(2勝13分8敗)、2ndステージ15位(4勝11分18敗)。通年成績は17位(7勝25敗)。
  • ナビスコ杯はEグループ4チーム中4位(3敗3分)でグループリーグ敗退。
  • 第77回天皇杯全日本サッカー選手権大会ベスト16。
1998年
  • Jリーグ1stステージ18チーム中18位(3勝14分22敗)、2ndステージ15位(2勝15分18敗)。通年成績は18位(8勝26分33敗)に終わり、J1参入決定戦へ。
  • J1参入決定戦は2回戦でジェフ市原に負けたものの、第3参入クラブ決定戦でコンサドーレ札幌に勝利しJ1参入を決めた。
  • ナビスコ杯はBリーグ5チーム中3位(1勝1分2敗)でグループリーグ敗退。
  • 第78回天皇杯全日本サッカー選手権大会ベスト16。
1999年
  • 末安剛明社長が退任、後任に福岡市収入役の真鍋純哲(まなべじゅんてつ)が社長就任。
  • Jリーグ1stステージ16チーム中11位(6勝9敗)、2ndステージ15位(4勝1分10敗)。通年成績は14位(10勝1分19敗)。
  • ナビスコ杯は2回戦敗退。
  • 第79回天皇杯全日本サッカー選手権大会ベスト16。
2000年
  • 4月10日、ナビスコカップ湘南戦を前にして監督のピッコリが「控え選手で戦う」と記者に発言。これがJリーグ規約違反だと問題になり、後にベストメンバー規定が誕生するきっかけになった。
  • Jリーグ1stステージ16チーム中14位(6勝9敗)、2ndステージ6位(7勝2分6敗)。通年成績12位(13勝2分15敗)。
  • ナビスコ杯2回戦敗退。
  • 第80回天皇杯全日本サッカー選手権大会ベスト16。
2001年
  • 真鍋純哲社長が体調不良により退任、後任に福岡市前助役の友池一寛(ともいけかずひろ)が社長就任。
  • 所属選手(未成年)が児童買春禁止法違反で逮捕される。逮捕を受けて選手契約を解除したが、臨時職員として再雇用。仕事に対する真摯な姿勢や社会奉仕活動が認められ、2003年より再び選手登録される。
  • Jリーグ1stステージ16チーム中12位(5勝10敗)、2ndステージ15位(4勝2分9敗)。通年成績15位(9勝2分19敗)でJ2降格。
  • ナビスコ杯2回戦敗退。
  • 第81回天皇杯全日本サッカー選手権大会3回戦敗退。
2002年
  • J2リーグ12チーム中8位(10勝12分22敗)。
  • 第82回天皇杯全日本サッカー選手権大会ベスト16。
2003年
  • 友池一寛社長が退任、後任に九電産業取締役第二部長の熊倉徹(くまくらてつ)が社長就任。
  • J2リーグ12チーム中4位(21勝8分15敗)。
  • 第83回天皇杯全日本サッカー選手権大会3回戦敗退。
2004年
  • J2リーグ12チーム中3位(23勝7分14敗)でJ1・J2入れ替え戦へ。
  • J1・J2入れ替え戦でJ1・最下位の柏レイソルに2敗し昇格ならず。
  • 第84回天皇杯全日本サッカー選手権大会4回戦敗退。
2005年
  • J2リーグ12チーム中2位(21勝15分8敗)でJ1昇格。
  • 第85回天皇杯全日本サッカー選手権大会4回戦敗退。
2006年
  • 4月26日付で運営会社の商号を福岡ブルックス株式会社からアビスパ福岡株式会社に変更。
  • 6月に本社を福岡フットボールセンターへ移転。
  • 熊倉徹社長が退任し、株式会社キューヘン常務取締役だった都筑興(つづくこう)が新社長に就任。
  • ナビスコ杯はAグループ4チーム中3位(1勝2分3敗)でグループリーグ敗退。
  • J1リーグ18チーム中16位(5勝12分17敗)でJ1・J2入れ替え戦へ。
  • J1・J2入れ替え戦でJ2・3位のヴィッセル神戸に2分。アウェーゴール差でJ2降格。
  • 第86回天皇杯全日本サッカー選手権大会5回戦敗退。
  • Jリーグアウォーズで中村北斗が優秀新人賞を受賞。
2007年
  • J2リーグ13チーム中7位(22勝7分19敗)。
  • 第87回天皇杯全日本サッカー選手権大会4回戦敗退。
2008年
  • 福岡市に本社を置くゲームソフトメーカーのレベルファイブがスタジアム命名権を取得。
  • J2リーグ15チーム中8位(15勝13分14敗)。
  • 第88回天皇杯全日本サッカー選手権大会3回戦敗退。
2009年
  • J2リーグ18チーム中11位(17勝14分20敗)。
  • 第89回天皇杯全日本サッカー選手権大会3回戦敗退。
2010年
  • 都筑興社長が辞任。後任には電通九州大分支社支社長だった大塚唯史(おおつかただし)が就任。
  • J2リーグ19チーム中3位(21勝6分9敗)でJ1昇格。
  • 第90回天皇杯全日本サッカー選手権大会ベスト8。
2011年
  • SVOLMEとオフィシャルユニフォームサプライヤー契約を締結。
  • J1リーグ18チーム中17位(6勝4分24敗)でJ2降格。
  • ナビスコ杯1回戦敗退。
  • 第91回天皇杯全日本サッカー選手権大会3回戦敗退。
2012年
  • J2リーグ22チーム中18位(9勝14分19敗)。
  • 11月にベトナムで開催された「BTV CUP 2012」にJ2代表として出場。予選リーグ敗退(1勝1分1敗)。
  • 第92回天皇杯全日本サッカー選手権大会3回戦敗退。
2013年
  • J2リーグ22チーム中14位(15勝11分16敗)。
  • 10月15日、運転資金が約5,000万円不足していることを公表。12月には選手や社員の給与遅配が生じる可能性が高まった。その結果、クラブライセンスが剥奪され、Jリーグ退会も考えられる状況に陥る。その後、危機を知った全国のサッカーファンから寄せられた寄付金や、大口スポンサー・ふくやの支援商品販売による寄付金等で最悪の危機を回避した。
  • 11月末に大塚唯史社長が上記の経営問題で引責辞任。後任には鹿島アントラーズ強化担当部長だった野見山篤(のみやまあつし)が就任。
  • 第93回天皇杯全日本サッカー選手権大会2回戦敗退。
2014年
  • AGA(アビスパ グローバル アソシエイツ)設立。
  • J2リーグ22チーム中16位(13勝11分18敗)。
  • 第94回天皇杯全日本サッカー選手権大会2回戦敗退。
2015年
  • Jリーグ・スカパー! ニューイヤーカップ宮崎ラウンドで3チーム中2位(1勝1敗)。
  • 3月末に野見山篤社長に代わり、アパマンショップネットワーク代表取締役&あるあるCity代表取締役だった川森敬史(かわもりたかし)が社長に就任。
  • ATHLETAとオフィシャルユニフォームサプライヤー契約を締結。
  • J2リーグは22チーム中3位(24勝10分8敗)で、J1昇格プレーオフへ。
  • J1昇格プレーオフでは、準決勝でV・ファーレン長崎、決勝でセレッソ大阪を下し優勝&J1昇格。
  • 6月10日、バルセロナBチームと親善試合。結果は0-5で完敗。
  • 第95回天皇杯全日本サッカー選手権大会3回戦敗退。
2016年
  • Jリーグ・スカパー! ニューイヤーカップ宮崎ラウンドで4チーム中最下位(1分2敗)。
  • J1リーグ1stステージ18チーム中18位(2勝5分10敗)、2ndステージ18チーム中18位(2勝2分13敗)。通年成績は22チーム18位(4勝7分23敗)でJ2降格。
  • ルヴァン杯グループリーグ2位(2勝3分1敗)で決勝トーナメントに進出するも、トーナメント初戦敗退。
  • 第96回天皇杯全日本サッカー選手権大会2回戦敗退。
2017年
  • JリーグDAZNニューイヤーカップ宮崎ラウンドで4チーム中3位(1勝2敗)。
  • J2リーグ22チーム中4位(21勝11分10敗)。J1昇格プレーオフへ。
  • J1昇格プレーオフ決勝、リーグ戦3位の名古屋グランパスと対戦。引き分けだったが、リーグ戦上位のアドバンテージで昇格ならず。
  • 第97回天皇杯全日本サッカー選手権大会3回戦敗退。
2018年
  • ヨネックスとオフィシャルユニフォームサプライヤー契約を締結。
  • J2リーグ22チーム中7位(19勝13分10敗)。
  • 第98回天皇杯全日本サッカー選手権大会3回戦敗退。
2019年
  • 6月3日、今シーズンから指揮していたファビオ・ペッキア監督(イタリア)が家庭の事情で退任。後任はロアッソ熊本のコーチだった久藤清一氏。
  • 7月23日、1週間前にブリーラム・ユナイテッドFC(タイ)から完全移籍による加入がリリースされていたペドロ・ジュニオール選手が、登録上の問題があったとして契約解除に。
  • J2リーグ22チーム中16位(12勝8分22敗)。
  • 第99回天皇杯全日本サッカー選手権大会3回戦敗退。
  • 12月23日、クラブカラーの一つである「ネイビーブルー」を「ネイビー」へ改定することを発表。
2020年
  • 2月末、12年間に渡りスタジアムの命名権を取得していたレベルファイブとの契約が終了。
  • ベスト電器がスタジアムの命名権を取得。期間は2020年3月1日から2023年2月28日までの3年間。名称は「ベスト電器スタジアム(ベススタ)」となる。契約金額は年3,600万円。
  • J2リーグ22チーム中2位(25勝9分8敗)でJ1昇格。
2021年
  • ルヴァン杯は予選グループ3位(2勝2分2敗)でグループリーグ敗退。
  • 第101回天皇杯全日本サッカー選手権大会は3回戦敗退。
  • 今季から始まった21歳以下の選手を中心としたJエリートリーグに参加。
  • J1リーグ20チーム中8位(14勝12分12敗)。
2022年
  • 8月29日、北海道コンサドーレ札幌から期限付き移籍中だった柳貴博選手が、27日に道交法違反(酒気帯び運転)をした事を受け契約解除を発表。
  • ルヴァン杯は予選グループ2位(3勝1分2敗)。プライムステージ準決勝で敗退。
  • 第102回天皇杯全日本サッカー選手権大会は準々決勝で敗退。
  • J1リーグ18チーム中14位(9勝11分14敗)。
  • 10月28日、ベスト電器を買収したヤマダ電機が、2026年1月31日までスタジアムのネーミングライツの更新を決定。
2023年
  • 4月26日、アパマンネットワークSST推進部部長の古屋卓哉氏(34)が社長に就任。
  • 第103回天皇杯全日本サッカー選手権大会は準決勝で敗退。
  • 11月4日、ルヴァン杯決勝で浦和レッズを2-1で下し初優勝。Jリーグでの初タイトルとなった。
  • J1リーグ18チーム中7位(15勝6分13敗)。
  • 12月5日、2023Jリーグアウォーズにて長谷部茂利監督が優秀監督賞を受賞。
  • 12月18日、国立競技場にてウクライナのFCシャフタール・ドネツクと被災者支援チャリティーマッチを開催。2-2で引き分け。
2024年